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コロナの不安が一時的に消えると言われた話。

「さとうコーチいつもありがとうございます」

ん?コーチ???

なぜかスポーツクラブの出張クラスではコーチと呼ばれたりしています。ものすごく違和感を感じながらも、「あ、は、はい。」と返事をしてしまいます。

「コーチ実はね…」と話が続きます。

「私コロナのニュースを見ていて、志村けんさんが亡くなった時、もし身近な人が亡くなったらと思うようになって、恐ろしくて震えが止まらなくなって自律神経失調症になってしまったの…」

そして、「去年の自粛期間にみるみる体調を崩してしまって、足の痺れや足の痛みで外出も辛い時がある」と。

とにかく不安で仕方がないので心療内科に通い薬をもらっている、と。

ご年配の女性でいい感じの笑顔の素敵な方で、不意にそのような話を聞かされビックリしました。

「そうだったんですね…」

「でも、コーチのクラスに出てシャヴァーサナをするのが大好きで、アレをするとなんだか本当は大丈夫なんだって思えて、痛みもこのまま消えるんだって信じる事ができるの」と彼女は続けます。

「コロナの不安がこの曜日だけはなくなるんですよー、」と、嬉しそうに。

僕は、やっぱりヨーガってすごいんだな~と思いました。僕もストレスや不安がある時には同じようにヨーガの効果を感じているのでとても嬉しく思いました。

しかし彼女は、終わった後しばらくは気分が良いんだけど、家に帰って日常にもどると、家族を失うのが怖いという恐怖に襲われ、足の痛みも再発するようです。

「どうしても身近な人が死ぬって考えると怖くてね…」と苦笑い。

僕はついつい「わかります!」と、軽い返事ではなくて、自然と重みのある共感をしていました。

彼女は、はっ!とした表情をして「こんな下らない心配を分かってくれるの?」と。

「わかりますよー」

僕は本当に良くその事というか気持ちがわかるのです。

個人的な経験の話ですが、僕は幼少期に動物のテレビ番組を見ていて、親子の牛の親が死んでしまい仔牛が悲しそうにしているシーンを見て、「母親は自分より先に死ぬ」という事実にふと気が付いてしまい、幼心にやべえことを知ってしまった!!と、数ヶ月保育園に行っても誰とも遊べずロッカーの中で怯えていた時期を過ごしました。

その後、昆虫を無駄に殺したり、弱めつけては死んでいくのを見送って、土に埋めたり水溜りに投げたりと、昔から死ぬことを意識して感じていました。

少年期でも親戚が死んだり、友達が交通事故で死んでいきます。大人になっても寿命を前に友達が自殺してしまったり、病気で死にます。事実、遅かれ早かれ僕らは死にます。

若くして妹を亡くしている知り合いが言っていた言葉で「身近な人の死は最大のイベントですよ!」って台詞も思い出されます。

今でも僕は車での移動が多いし、海に入るので不意に死ぬかもしれないと思っています。だからか特に今回のコロナ騒ぎでも、東日本大震災の原発事故問題でも、強いて不安にはなりません。死ぬ事は根本的に知っていて常々心の底で意識しているからかもしれません。

そして死は、死んだ人の問題より生きてる人の問題と思っているので、本気で「わかります」と答えました。

その本気っぷりが通じてしまったのか、彼女は「わかってくれますか~」ってほろほろと涙を流しています。きっと本当に日々不安なんだなぁと思い、ついつい僕ももらい泣きです。

うんうん…わかりますよー

「心療内科では話すけど、きっと真剣に聞いてくれないし、知人に話しても考えすぎだと言われたり、娘に話しても心配ないと言われたり、誰もこの不安をわかってくれないんです」って。

僕はその時、あんまりみんな死ぬ事って考えないのかな?と思ったり。そう言う人が急に死ぬことを意識させられると僕が幼年期に経験したあの不安を感じたりするんだろうな~、と思ったり。

「でも、どうせ死ぬんだから生きてる内は元気に身近な人と幸せに過ごせたら良いですよね」

と、なんともつまらない当たり前な事を言って、さよならをしました。

しかし、スポーツクラブのクラスでは、センターでの実習ほど時間がないので、プラーナーヤーマや瞑想は少なめ。しかしこの様に心理的な効果を感じてる人がいる。やはりヨーガのいいところはヨーガをやっている時はとにかく今に集中して“一時的にでも”不安やストレスから離れる事が出来る事です。その時は少なくとも心の動揺は治まっています。

僕たちは不老不死じゃないし、世界は不安な要素で溢れています。しかし一時的に、そしてコツコツ継続的に不安から離れていけば、きっと死ぬ事や世界の不安な要素を受け入れながらも元気に生きれるんじゃないかな、と思ったり。

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