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人間は、波に乗る人と乗らない人の2種類だ

【波に乗る人間】
読んでないけどサーファーの名言集という本があって、表紙に「人間は、波に乗る人と乗らない人の2種類だ」とある。

名言って大抵が当たり前のことを言うんだけど、言った人が何者かと、聞いた人の経験がばっちりマッチするとグサっと効いてくる。

しかし上の名言は当たり前すぎて、効くも何もただの事実でウケた。そして僕はその波に乗る方の人間だ。

この地球には、陸よりも大きな海が広がっていて風が吹く限り波は絶対に無くならない。

1日に何万回か、何千万回かは知らないけど、世界中の陸に波は押し寄せ続けている。

不確実な自然の造形で、姿かたちが似ていても、ふたつと同じ波はない。

波に乗る方の人間は、空の色、雲の形、天気、日差しの角度、砂浜の地形、全てが常に変化している自然の中で、ふたつとない波に乗って遊んでいる。

景色は、霧に覆われた薄い日差しが辺りを金色に包むこともあれば、雨が弾けて海と空を分ける線を消して、水墨画の様な世界を見せてくれることもある。

そんな海で、波に乗る人間は、波を、待つ。

最高でしょ。

【ストリートカルチャーから】
サーフィンについて何を書こうかと考えていてもテーマが色々あるので、まずは始めた頃のことを思い出してみる。

サーフィンを始めたのは、確か1995年頃。まさにmid90s。なぜか自然と僕らはストリートカルチャーやサブカルチャーに惹かれていった。

その頃は、今とは明らかに違う時代背景で、ネットも無ければSNSもあるはずがない。携帯も無く、ポケベルを持ってる奴が十人に一人くらい。

友達と会うには地元に幾つかある「溜り場」に行けばいい。そこには誰かしらがいて、誰かが持ってるオモチャでみんなが遊んで、くだらない話で暇を潰す。

そんなローカルグループにはノリ(秩序)と自由があって、遊びからサブカルチャーが生まれる。僕は色んな地域の溜まり場に出入りしていたが、それぞれに独特な息遣いとリズムとスタイルがあった。

今思うと、本能的にワカモノは共通点のある仲間と繋がる独自のコミュニティを作っていて、バカなりにオルタナティブな生き方の挑戦をしていたんだと思う。

新宿の集合住宅育ちの僕は、先輩や友達が輸入してくるストリートカルチャーに当たり前のように触れていて、中学生の頃からスケボーやBMXで遊んでいた。

そこでは、テストの点よりもオーリーの高さや、度胸と逃げ足の速さ、言い逃れの巧さや、交渉力の強さを競っていた。

その頃からサーフィンに憧れはあったけど、車がないと行けない、金がかかるオトナの遊びだった。

【波コジキと呼ばれていた頃】
僕なんかは、高校に行っても学校生活に馴染めなかったタイプなので、一学期半ばに自主退学を勧められ、ちょいちょい日雇いの仕事をしては遊びまわっていた。

話は逸れるけど、僕が行っていた日雇いの仕事は少し変わっていたと思う。

今では追い出されてしまったが、僕の育った都営団地には、ブルーシートとダンボールをうまく使った三畳ほどの小屋を寝床にしたホームレスのおっちゃんたちのコミュニティがあった。

そのおっちゃんたちは朝6時に高田馬場の公園に移動する。そこには、新宿周辺を拠点とするブルーテントの住所不定のおっちゃんが総勢50人から多い時には100人くらい集合する。

通称「寄せ場」だ。

そこへ11人乗りのキャラバンに乗ったパンチパーマの“いかにもな親方”が現れ、おっちゃんたちを3Kの労働現場へ連れて行く。(当時よく聞いた3Kとは、キツイ、キタナイ、キケンの頭文字で、なんと今では給料、休日、希望の3Kに生まれ変わりつつあるとか)

きっかり17時に3K労働を終えると、公園に戻って親方から裸の現金一万円を受け取る。

おっちゃんたちは、そのままコンビニに行って弁当とワンカップを2、3本買って線路脇で晩酌を始める。

登録制の日雇いバイトはよくある話だが、登録する住所のないおっちゃんたちの働ける場所は今では珍しいのではないかと思う。

肉体労働の後の憩いのワンカップ。まともに話せるおっちゃんたちはみんな訳ありなんだろうけど、仕事の後は明るく優しかった。

そんな事を思い出すと、当時から3Kは給料、休日、希望だったのかもしれない。

16歳頃の僕はそんなところで働いていた。

学校に行ってる人たちに比べると時間もお金もそれなりにあったが、一人暮らしをしていたのでサーフボードを買う金は貯めれなかった。

そして同じように、学校へ行かない先輩たちと遊ぶようになり、ひとりの先輩が使ってないサーフボードを自慢するので、なんとかお願いして、無理矢理借りた。

そして金を少し貯めて、海パンと中古のウエットスーツを買ったと思う。

もちろん車はないので、小田急線で湘南へ行ったり、3K現場で知り合ったちょっとお兄さんのサーファーの車に乗せてもらったりして、サーフィンを始めるようになった。

そのお兄さんたちには、おっちゃんたちと仕事に来るからか、ボードケースを寝袋がわりに海で寝泊まりしていたからか、僕は“波こじき”と呼ばれていた。

【ハートブルー】
サーフィンをやりたい!というモチベーションをキープできたのは何と言っても「ハートブルー」という映画。

キアヌリーブスがおとり捜査官で、スリルのジャンキーのサーファー集団の中に潜り込んで行くストーリーの映画。

そのサーファー集団は銀行強盗を繰り返し、高跳びして良い波を追い続ける。

その映画、サーフィンそのものの映像はあまりないんだけど、そのサーファー集団のボスの生き様や、大波に挑む姿勢に影響を受けた。デカい波は楽しむものだと洗脳された。

人生なんてどうでもいいやと投げやりだったので、命をかけるような危険な遊びに惹かれていたのだと思う。

ハートブルーに影響を受けた、波コジキ。今でもふと、サーフィンをやっていてホントに良かったと思う。

しかしなんだか懐かしいな。

おわり/さとう

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